11月22日
三河湾スカイラインを下り東三河ふるさと公園で休憩を取ったおいらは、明るい農村
を通り抜け東に機首を向けた。豊川へ向かい一号線まで出ようと思ったのだ。
三河地方は、史跡が多く戦国時代から江戸時代までの史跡が所々に残っているのだ。もちろん1号線は東海道として周知だが、豊川や岡崎辺りには松並木も多く保存されていて、安藤広重が描いた浮世絵の面影が残っている。国道はちょくちょく通る道なんだけど、改めて旧街道を走ってみようと思った。
一号線へ出るとさすがに交通量が多い、走行ペースも一段と速いのだが、シグナスはそのペースの速い流れにもストレスを感じることなくぐいぐいとおいらを60km/hの風に乗せてくれる。原付じゃない良さってこう言うところでも感じる。
1号線を走るのは一瞬、御油のカンバンが見えるとすぐ左へ道を逸れた。脇道へ入るとそこは生活道路でもある、軒先で話す人、パンフレットを片手に観光をする人、色々な思いの人たちが歩く、一気にスピードを30km/h以下に減速し、「ポコポコ」とその町並みを感じながら走った。
目の前の町並みに、江戸時代の宿場町がだぶった。
昔も、こんな風に人々は江戸から京都、京都から江戸へ向かって歩いていたのだろう。そうすると差詰めおいらは馬に乗って旅をしていると言うところだろうか
鉄の馬にまたがって旅をしている気分 
そんな姿をイメージしながら、ゆっくり、ゆっくり、御油宿を通り過ぎると、やがて松並木が見えてきた。国の天然記念物に指定されている松並木、立派な松が空高く反り立ち旅人を夏の日差しや冬の空風から守ってくれるのだろう。
御油宿と御油の松並木
御油宿は、慶長6年(1601)徳川家康によって、東海道に宿場制が定められ、東海道五十三次の35番目の宿場町として繁栄しました。
ここから東の、かって上五井、中上町、仲町、横町、茶屋町と呼ばれたこの通りぞいには、今でも宿場町の面影を残す旧家がみられます。
また、この御油宿と隣の赤坂宿との間には、慶長9年(1604)に整備された御油の松並木があります。昭和19年に国の天然記念物に指定され、「日本の名松百選」にも選ばれています。(観光案内カンバンを引用)
松並木が数百メートルに渡って続いている。江戸時代はここを人が徒歩で行き来したと思うと、ワクワクしてきた。
今では石畳の跡は無く、アスファルトで固められた道になっているが、松並木の雰囲気は十分その風情を伝えてくれている。
神宮へ参拝に向かう江戸の旅人気分になって、バイクを止め松並木を少し歩いてみた。
ところが…。
意外に自動車の交通量が多い、豊橋ナンバーだから地元の人たちだろう。気になるのはスピードだ、たぶん平行して走る国道のバイパスとして利用しているのか?ものすごい勢いで迫ってくるのだ。のんびり景色を見ながら歩いていると、通り抜ける車の風圧で驚くぐらいだ。
風情も何も有ったモンじゃない!

所々スピードを制限するために狭路が作ってあるのだが、我先に通り抜けようと、手前で余計にアクセルを踏み込む車も見かけた。ちょっとあれは頂けない、度を超すと車両通行止めになりそうだが、そうなるとバイクで走る事も出来無くなってしまう。そんな事にならないためにも、せめて観光道路を意識して速度制限を守って欲しい。
(そういえば制限速度のカンバンを見なかったが、まさか60Km/hとかじゃないよねぇ・・・
)
帰りは交通量の多い国道を通って変える気分でもないので、鉢池峠を回って林道を越して蒲郡へ出た。やたらホテルの多い通りだけど、そのほとんどが廃業しておりとても不気味だ。更に、峠の辺りはトンネルになって居るんだけど、かなり古い作りで薄暗く、バイクでひとり通り抜けるのは怖かった。
写真も怖くて撮らなかったwww
何かつれて来ちゃいそうだったしね
蒲郡へ抜けると、空が暗くなり始めてそろそろ雨粒が落ちてきそう、西尾幸田線を利用して一気に自宅まで帰ろう。
帰ったら暖かい風呂に浸かろう
そんな風に思ったら、急に寒さが襲ってきた。
今日も最後まで読んで頂いてありがとうございます。


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